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無料低額診療事業 紹介レポート:  「民医連綱領」ここに力の秘密あり「無料・低額診療制度」
 「無料・低額診療制度」は、低所得の方が医療にかかった時の窓口負担を、その医療機関の負担で、免除または減額する制度です。「お金がないため医療にかかれない人が出てはいけない。命の重さが左右されてはいけない」という民医連のこだわりを象徴する実践のひとつとして、制度導入に挑戦する事業所が増えています。
窓口負担なし 活用ダントツ
 民医連の中で、この制度の活用でダントツなのが、九条診療所(京都保健会)。なんと患者さんの54.3%が制度を使って治療しています(08年度)。制度自体は長年ありましたが、積極的に使うと決めたのは、高齢者の医療費の窓口負担が定額から定率1割へと改悪された時。
 堂本吉次事務長は振り返ります。「当初、職員会議での私の提起は逆で、制度活用どころか、経営を圧迫すると困るから、抑制しよう、というものでした。すると、診療所は何のためにある? と反論された。『治療費が払えない患者さんを切るのん?考え直してほしい』とまず事務職員が。看護師からも『○○さんはこれ以上の負担は無理、治療できなくなる。○○さんもそう』、この人も、この人も…と患者さんの名前が出たんです」
 職員たちの強い意見で方針は一転、制度を知らせ、利用してもらうための作業がすすめられました。
 診療所には、病院のような相談室はありません。患者さんの相談はどの職種でも受け、事務職員が具体的な手続きにまわります。無料・低額の利用者は増え、一冊だった利用者の管理帳は二冊に。
暮らしぶりを知っているから
 同診療所は、1953年に京都市の中でもきわめて貧しい人たちが住まう、生活環境も劣悪な東九条地域に誕生しました。現在も生活保護や老老、独居世帯、在日外国人、文字の読めない人など、経済的・社会的困難を抱える人たちが多くいます。そんな患者さんたちの暮らしぶりを、職員たちはよく知っているのです。
 「看護師も事務も、『あの患者さん、気になるから家にようす見にいって』と、いわれたら、まずノーはいいません。患者さんの冷蔵庫の中まで知っている職員も。困りごとは診療所へ。地域からはそう見られています。徹底的に患者さんに執着する所長の姿勢も大きいなあ」と堂本事務長。
所長は「山宣」の孫が
 所長は山本勇治医師。通称「山宣」(山本宣治)のお孫さんです。
 山本宣治は戦前の国会で治安維持法にたったひとり反対した代議士でした。それがもとで右翼に襲われ死亡。死の報せを聞いて集まった人たちが、遺志を継ぐ活動として呼びかけたのが、貧しい人たちのための「無産者診療所」でした。これが、現在の民医連のルーツです。
 山本所長は大きな病院の勤務医を経て、民医連の地域医療に飛び込みました。
 「勤務医時代、九条診療所でアルバイトをしたんです。待合室は大勢の患者でザワザワ。職員にからむ人もいた。病院のように、若造でも医師なら話をありがたく聞く患者はおらず、真剣に向き合わないといけない。でも一度信じられると思えば、とことん慕ってくれる。口は悪いが、なんて正直な人たちがいるんやと」
 39歳で亡くなった祖父の顔はもちろん知りませんが、「民医連で働いて、山宣の遺志を継がないか」という誘いに応じました。戦前、国民皆保険もなく「医者にかかるのは死亡診断書を書いてもらう時だけ」という時代、祖父が願った「無差別・平等の医療」が民医連の中に息づいていると、肌で感じたそうです。
 「病院を辞めなければ出世してエエ暮らしができるのに、と反対もされましたが、この道を選んで医師としての思いが貫けた。患者さんに負けんくらい元気な職員たちといっしょに30年来られた」
無差別平等、「自信もって働ける」
 無料・低額診療の相談は、職員にとって地域をさらに知る作業でもあります。
 仕事が減った息子の生活費を助けるため、75歳を過ぎて皿洗いの仕事に早朝から出ているおばあさんがいました。引きこもりの中年の息子さんと二人住まい、無年金という患者さんは、病院での精査をすすめられても、お金を心配して拒否しています。区の福祉事務所から診療所を紹介され、やってきた失業者も。
 相談の中心を担う事務の永野穂並さんはいいました「仕事にやりがいがない、なんていうたら、バチが当たりそう」。
 診療所が無料・低額診療制度で持ち出している金額は年間1千万円ほどになります。でも事務長は笑顔、「やって良かった」。医療費負担が原因の治療中断はなくなりました。この検査、この投薬をしたいが、患者負担になるからやめるというふうに医療が「萎縮」することも減り、なにより自分たちの存在に確信が持てた…「そやから、うちの職員は元気なんですよ」。
いつでも元気(2009.8)より転載