点字と歩んだ人生
いつでも元気 2026.3 No.412より転載
点字と歩んだ人生(京都)
昨年は点字ができて200年。
記念すべき年に、仁和健康友の会(京都市)会長の加藤俊和さん(80歳)が「第62回点字毎日文化賞」を受賞しました。
点字と歩んだ人生、そして友の会について聞きました。
文・新井健治(編集部) 写真・五味明憲

点字毎日文化賞は毎日新聞社主催の賞。加藤さんは視覚障がい者ではありませんが、64年にわたり点字の研究や普及に尽力した功績が認められました。
京都市上京区生まれの加藤さん。実家は京都の伝統産業 「西陣織」の織屋でしたが、不況で倒産し生活が困窮。十分な栄養がとれず6歳と8歳の時に2度、急性腸炎で生死の境をさまよいました。「自然と『困っている人を助けたい』と思うようになりました」と振り返ります。
京都府立山城高校1年生の時に点訳ボランティアを始めました。2年時に「点訳奉仕団」を立ち上げて京都工芸繊維大学でも続け、大学卒業後は立石電機(現・オムロン)に就職。超音波で障害物を検知する盲人用白杖の開発にも関わりました。
1980年に点字出版の最大手「日本ライトハウス」に転職。技術系の知識を活かし、触地図(視覚障がい者向けの地図)や点字の楽譜など、誰も手掛けていなかった分野を開拓しました。
地震の被災者を支援
日本ライトハウスを定年退職した翌年、2011年に東日本大震災が起きました。 「避難所にいる視覚障がい者は、一人ではトイレにも行けない。手助けが必要なのに、『こんな大変な時に申し訳ない』と遠慮をして、なかなか声をあげられない」と加藤さん。
支援の壁になったのが個人情報保護のルール。視覚障がい者がどこの避難所にいるのか、あるいは自宅にとどまっているのか分かりません。「個人情報だから」と地元自治体も教えてくれません。加藤さんは県庁や厚生労働省に掛け合い、被災地の視覚障がい者の名簿を入手。専門家を組織して避難所を回り支援しました。
視覚障がい者が駅のホームから転落したり、踏切内で立ち往生する事故も起きています。加藤さんは事故現場を調査し、防止策も提案。「困っている人がいるなら助ける。やって当たり前のことです」と語ります。
京都民医連発祥の地
加藤さんが生まれてから5年後の1950年、同じ上京区に仁和診療所ができました。西陣織の職人たちが、「自分たちの診療所をつくろう」と資金を持ち寄り、民家を借りてスタート。京都で初めての民医連事業所で、診療所の敷地には「京都民主医療機関発祥の地」の石碑が建ちます。
1985年に新築移転。3階建てで、内科、整形外科、婦人科、歯科があります。 「仁和地区は市内でも高齢化率が高く、訪問診療に力を入れています」と話すのは、診療所の出井哲史事務長。特徴は地下1階にある、体育館のように広いトレーニングルーム。ここで体操や気功の教室を定期的に開いています。
創立75周年の昨年11月、「診療所を地域に知ってもらおう」と安藤公二所長の発案で秋まつりを開き、150人以上が集まりました。出店やバザー、立命館大学のサークルによる陶器市があり、トレーニングルームでは楽器の演奏や小中学生のチアダンスのほか、75年の歴史を振り返る写真展が行われました。
出井事務長は「トレーニングルームをはじめ、診療所の特徴をアピールし新しい患者さんを獲得していきたい」と話します。
困っている人を助けたい
仁和健康友の会(会員数約400人)は1988年発足。体操や気功を中心に9サークルあり、無料法律相談などを行っています。
加藤さんは2023年に友の会会長に就任。診療所で年4回、京都の歴史を探訪する講座を開き、昨年2月には鴨川の氾濫の歴史を解説しました。「京都の歴史は調べれば調べるほど、おもしろい」と言います。
「困っている人がいるなら助けたい」との思いは、友の会の活動でも。「災害時に顕著になりますが、人知れず苦しんでいる障がい者は街中にたくさんいる。友の会をはじめさまざまな団体と協力し、困っている人たちとつながり支援をしていきたい」と加藤さん。点字とともに歩んできた人生は、これからも続きます。
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